ゆきこの釜山生活すいも☆あまいも・第11回「釜山国際映画祭 ボランティア活動後記」

第11回「釜山国際映画祭 ボランティア活動後記」

こんにちは、ゆきこです。前回「合格しました!」とわりとウキウキ気分でお伝えした映画祭ボランティアですが、実際の活動を終えて実は散々な結果に終わってしまいました。「けんか両成敗」という言葉もあるとおり、少なからず私のほうにも非はあるでしょうが、シロウトの私から生意気に言わせてもらっても、映画祭側にもかなりの改善すべき点が見られました。「楽しかったです!」という感想をこの場でお伝えできたらどんなによかったか、と思いますが、事実は事実として私が実際に感じたことを正直にリポートします。ちなみに所属のチームごとに運営方法も様々です。私が感じたことが映画祭全般に言える、というわけではありませんので、そこのところご理解いただきながら、お読みいただけたらと思います。

事前の教育は事実上2回だけ

合格発表後、教育の日程がHPで発表されるまでにだいぶ時間がかかりました。私の所属はプログラムチーム監督随行。チームの事前教育は全部で3回でしたが、そのうちの1回は全体教育といってボランティア全員が集まってビデオを見たり、プレゼント抽選をしたりと、教育とは言えない内容でしたので、チーム別の教育は事実上2回でした。1回はマインド教育という、お客様と接するときの心構え(笑顔・姿勢など)を学ぶもの。もう1回はいよいよプログラムチームだけが集まった教育でしたが、ここでも具体的な業務についての教育はなく、大体こんな感じだという概要を伝えられただけでした。私はそのときも「仕事のイメージが全然湧かない」と言ったのですが、開幕2週間前にもかかわらず、まだ具体的なスケジュールが出ていないから教えられないということでした。私が担当する監督随行はゲストのスケジュールに合わせて決まるうえに、その時点でまだ来るか来ないかも曖昧なゲストもいるなどゲストのスケジュールが変わりやすい、流動的なのも理由のひとつでした。そういった映画祭側の事情も理解はします。でも、なんといっても自分が経験したことのない仕事なわけですし、できるだけ多くのことを事前に知っておいて心の準備をしておきたかったのです。
一番はじめにスケジュールが送られてきたのは10月2日。もともと聞いていた私の業務は、ゲストに同行して必要であれば通訳をするなど、ともかく決められた時間に決まった場所まで確実にゲストをお連れするというものでした。それにプラスアルファで、映画上映後のGV(Guest Visit)というQ&Aの時間に通訳する人がいなかった場合、もしかすると突発的に通訳をお願いするかもしれないと聞いていました。しかし、この時点でもらったスケジュールは空港送迎が1件、GV通訳が3件と、GV通訳のほうが多かったのです。突発的に入るかもしれないなら、半ば仕方がないしそのときはこなすしかないな、くらいに思っていたのに、ふたを開けてみたらGV通訳のほうが多い。しかも、私の韓国語歴はわずか1年半です。そんなので公式的な、観客がたくさんいる中で、まともな通訳ができるわけがありません。私はGV通訳することの不安を伝えましたが、やっぱりやってみろということでしたので、こんな私でも任せてみようというのならと、まあ自分ができる限り精一杯やってみようという思いでいました。

発隊式の日

10月10日、開幕を目前にしてボランティアの発隊式が行われました。内容は、宣誓、チーム別の写真撮影と、チームごとに歌ったり踊ったり演技したりしながら意気込みを伝える「クホ」というものが行われました。ほかのチームは事前教育がたくさんあったようで、そのときに「クホ」の練習もしていたようでしたが、プログラムチームはその時点でまだそれぞれの顔と名前も一致しないような状況でしたので、写真撮影の合間に「クホ」を考えて練習しました。私のチームもそうですが、他のチームもテレビのお笑い番組のネタを真似たものが多かったです。ネタをやっても知らない人はいないという感じでみんな大爆笑していたので、お笑い番組ってみんな欠かさず見てるものなんだなあと思いました。
約5時間で市庁で行われた発隊式がやっと終了(長いです)。このあとプログラムチームは海雲台の映画祭事務局に移動し、一緒に夕飯を食べたあとミーティング。夕飯は焼肉を食べて、ミーティングが始まったのはなんと夜10時近くでした。どうしてこんなに時間がかかるんでしょうか。ミーティングといっても、整理して説明してくれるわけでもなく、チーム長が思いついたことをそのまま話しているのを、私たちボランティアが聞いているという感じでした。それが1時間ほど続き、解散になりましたが、私はもらっていたスケジュールに関する質問があったので残って聞いてもらいました。私個人のなかでは、この質問を聞いてもらうのがこの日一番の目的だったのに、結局夜11時近くになってやっと質問することができたというわけです。でも「もうこんな時間だし、まだやらなきゃいけない仕事も残っているのに、スタッフを引き止めたら申し訳ない・・・」という気持ちもあったし、質問をしても「まだこれはわからないので、確認してまた連絡します」と、ほとんどの質問に対してはっきりとした回答が得られないという状況。「もう聞いてもしょうがない」というあきらめ、かつ消化不良のまま、この長い一日は終わりました。帰宅は夜12時。帰りの地下鉄やバスがなくて、タクシーで帰った人もいたそうです。この時点で、だいぶ段取りが悪いなあと思いました。もっと効率的にテキパキやる方法はあるはずなのに、待機の時間が多すぎます。
それともうひとつ記述しておかなければならないのは、プログラムチームは開幕式の日、式場に入る可能性があるので全員黒のスーツを着ること。そして、特に監督随行は勤務期間中、もらったユニフォームではなく、軽めの正装で来ること。この2点をかなり直前になって言われました。チームの中でもスーツがない人は買いに行っていたようですし、私も普段はいつもカジュアルな服なので、スーツと、正装として着られる服を何着か買わなくてはいけなくなりました。2万円以上の出費は痛かったです。もうすこし早く言ってもらったら他の方法もあったのに。

最初で最後の小さな感動

その後、教育はほとんどないままでしたが、スタッフの方とメールで何度かやりとりをして、その時点で出ていたスケジュールに関する疑問については一応解決することができました。そして迎えた開幕式の日(10月12日)。私の最初の仕事は日本からいらっしゃるT監督の空港ピックアップでした。空港まで行くには、映画祭で準備した車両に一緒に乗っていかなければなりません。事前にメールと電話で2度確認した約束の時間、昼の12時半に車両を用意してくれる儀典チームの本部に行ったら、なんと12時半じゃなくて2時半の間違い。遅すぎでなくて早すぎだったからいいようなものの、しょっぱなからこんな間違いで2時間待つハメになりました。
2時間後無事出発し、難なく空港で監督をピックアップしてPIFFセンターへ。ここで監督のゲストIDを受け取る予定でしたが、行ってみたらもうカウンターが閉まっている。中にいたスタッフに確認・交渉し(これもスムーズにはいきませんでした)、IDは翌日受け取ること、監督が受け取ってないと言っている開幕式の招待状はホテルで受け取れることを聞いて、ホテルに向かいチェックイン。何とか招待状も受け取り、監督を開幕式場まで送り届けました。

一応言われていた任務は終了したってことで、担当スタッフにそのあとの行動を確認したところ、会場の中に入って、同じチームの仲間と合流しろとのこと。他の道はなかったので「レッドカーペット」を踏んで式場の中に入りました。ちょうど有名ゲストが続々入場中で、私はチームの仲間と一緒に会場一番前のところに立って見ていました。ゲストが入ってくるたびに上がる歓声。華やかな会場と、その歓声を聞いたときに「私の力はものすごく小さいけど、こうやってみんなが喜んでくれている映画祭づくりに関われているんだ」と、すこし感動しました。
そのあとはボランティアに配られた、給食で出てくるようなカレーを夕飯として食べ、開幕作品を観客と一緒に見てもいいといわれましたが、私は慣れない仕事と服装でだいぶ疲れていたし、翌日のことも考えて、映画の途中で帰宅しました。帰宅時間は10時半くらいだったでしょうか。

やっぱり難しかった通訳

続く3日間で3件のGV通訳をやりました。仕事、少ないでしょう? 少ないんですが、1件1件本当に緊張の境地に立たされるので、寿命が縮まりました(笑)3件中、一番自分なりによくできたのは2回目でした。ほかの2回はボロボロで、もしかしたらプサンナビ読者の方の中にも、私の通訳をごらんになったという方もいらっしゃるかもしれませんが、申し訳なくて恥ずかしくて穴があったら入りたい気分でした。

私の場合はスケジュールに余裕があったので、GV前に映画を一緒に見ます。見るんですが、自分には楽しく見る余裕は全然なくて、このあとにあるGVの質問で出てくるかもしれない単語を探し、一生懸命韓国語の字幕を目で追いながら見るんです。こんなに楽しく見れない映画って初めてでした。そして、実際のGVに入ると、観客の質問とゲストの回答を一旦メモして、それを通訳して言うわけですが、まず書き取れない!話すスピードに合わせて書くって難しいですね。速記技術があったら簡単でしょうが。韓国語→日本語はわりと簡単ですが、日本語→韓国語の場合に口から言葉が出てこない!いつも使っている表現でも、緊張のあまり全然出てこなかったりしました。日本人なのに釜山訛りがあちこちに出てきてしまう私が、通訳をするのも恥ずかしかったです。ユニフォームじゃなくて私服をきているから、何も言わなければ、ボランティアじゃなくて本当の通訳の人だと、周りの人は思いますよね。それなのに、こんなにつたない通訳で本当に申し訳なかったです。映画関係者の方から名刺をいただくこともあったのですが、私はもちろん本職は主婦なので名刺はナシ。相手は「どうして通訳なのに名刺がないんだろう」と不思議に思われていたのでは。

監督随行の仕事へ

GV通訳が3件終わったあと、そのあとに入っていたGV1件はカットされて(あまりにもヘタクソだったので切られたのかもしれません 笑)、このあとはVIPゲスト同行の仕事をするように言われました。もともと私の仕事はゲストの都合に合わせて変動するということは事前に聞いていましたが、今回の変更も突然に言われたことです。
VIPコーディネイト担当のスタッフの方と、16日に初めて会い、仕事の進め方などを聞きました。と書くと、普通に聞こえるかもしれませんが、実際は話は聞いたけど何が何やらわからない話でした。スタッフの方が忙しいのはわかるのですが、ご自身の目が回りすぎて頭が整理されていないのか、話があっちこっち飛んで、散漫なのです。会って一番初めの一言が「私は物の言い方が冷たいけど本心はそうじゃないからわかってね」でした。実際に話してみて、言い方が冷たいという点は除いても、(これはあくまでも私の主観的な感想ですが)はなっから私を信用してないと思わせる態度でした。私は外国人だし、生活するには不自由ないと思っていた韓国語も、実際にこう仕事をしてみると不足なところがたくさんあったりして、自分でも不安がないといったら嘘になります。それでも、今自分が持っているものを総動員して一生懸命やろうと思っているのに、やる前から否定されるようで気分が悪かったです。

散漫、バラバラに言われた指示を、自分の頭の中でもう一度整理して考え、できるかぎり言われたことに忠実に実行しました。自分に十分、失敗を起こしてしまう可能性があると考えたので、それを防ぐためにも最善を尽くそうと思ったからです。そしてこうやって整理して考えて実行してみると、聞いたときは難しそうに思えたものは、実はそんなに難しくなく重要だけれどもシンプルな作業でした。ゲストが場所から場所へ移動するのに同行し、その都度スタッフに報告をする、簡単に言えばそんな仕事でした。順序立てて説明してくれればよかったのに、スタッフの方の説明が複雑すぎたように思います。

監督随行の仕事に入って2日目。段取りが悪いということを通り過ぎて、スタッフの方のあまりにも人を無視したような扱いに憤慨し、結局これ以上続けられないと仕事を辞めさせてもらうことにしました。

反省点

こうして、私のボランティア活動は幕を閉じました。映画祭に対する疑問符が自分のなかで大きくなっているところに、とどめがさされたという感じでした。出会ったスタッフが別の方だったら、疑問は持ちつつも最後まで突っ走れたかもしれません。今までにも途中でギブアップすることが何度かあった私。今度こそはやり遂げたかったのですが、やっぱりこういう形で、最後まで全うできなかったことは本当に悔しいです。私にも反省すべき点があるのかなと思います。

と同時に、映画祭の運営がけっこうずさんで、付け焼き刃的だと感じました。かなりぎりぎりまで細かいことが決まっていないなど、その場でなんとかしてやりすごそうという雰囲気があったように思いました。ゲストの方とお話する機会があったのですが、やっぱり対応にいろいろ問題があったとおっしゃっていました。私の仕事に関しても、もともとの業務が監督随行なのだから、細かいスケジュールはわからなくても、同行する際の段取りなどは開幕前に教育しておいてもらったらよかったのにと思います。

私は所属上、一人で行動することがほとんどでした。劇場に行ったときに、劇場勤務の日本人ボランティアの方を数名お見かけしましたが、楽しそうに仕事されていましたので、どこの担当になるかによっても、仕事の内容も印象もだいぶちがうのでしょう。正直うらやましいなあと思いましたよ。自分の能力と性格に合った部署を選ぶことが重要ですね。
仕事上で出会った他のボランティアの人も含め、いい人たちにたくさんめぐり合えたのも事実です。つらいことが多かったからこそ、人の温かさが身に染みました。ほんとうにありがとうございました。また映画好きの楽しい生活に早く戻り、今回の経験からは良い教訓だけを自分の糧に汲み取って、日々精進していきたいと思います。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2006-10-24

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