屏山書院 (安東)

ビョンサンソウォン병산서원

閉店・移転、情報の修正などの報告

山河に囲まれた風光明媚な書院。安東の達人がおススメする隠れ家的な名所です。

アンニョンハセヨ、ナビです。釜山からはるばる車で3時間。決して近いとはいえませんが、安東は韓国の中でも指折りの観光地として知られています。

中でも、朝鮮時代の情景がそのままに残る河回村(ハフェマウル)、儒教の大家、李退渓ゆかりの陶山書院(トサンソウォン)、そして韓国でもっとも古い木造建築が残る、鳳停寺(ポンジョンサ)などは、安東だけではなく韓国を代表する史跡と言っても言いすぎではありません。
これだけの有名所だけに、ナビでももちろん紹介してきました。ただ、安東の魅力はもっと深いので他の場所も紹介して欲しいという要望が耐えませんでした。でも、ナビはあくまでも釜山のスペシャリスト。安東のその他の隠れた名所を見つけるのはなかなか至難の技だったのです。

そこで、助け舟を出してくれたのは安東在住の日本の方々。『安東であなたの一番好きな場所はどこですか?』とたずねると『芙蓉台(プヨンデ)』と『屏山書院』という答えが返ってきました。『芙蓉台』は河回村を見渡す高台で、河回村の記事に登場しましたが、『屏山書院』は初耳。何でも聞くところによると、自然と調和したとっても風光明媚な書院なのだとか。というわけで、今回は安東のスペシャリストに聞いた、おススメの史跡『屏山書院』を紹介しましょう。
屏山書院とは
安東市豊山邑、洛東江(ナクトンガン)が緩やかにS字を描く、片側のカーブに位置するのが河回村だとすれば、屏山書院はその反対側のカーブに位置しています。

朝鮮時代の代表的な儒教的建築物として知られるこちらの書院は、河回村出身で領議政(時の総理大臣)を勤めた柳成龍(ユ・ソリョン)が弟子たちに教えを諭した場所で、柳成龍の没後、その教え子や近隣の儒者たちが故人の学徳を偲び、位牌を祭るために書院内に祠を建て、現在の形を成しました。また、書院内には柳成龍による文集をはじめ、各種文献1000余種、3000余本が所蔵されいます。
屏山書院の由来
元来は、高麗の時代、安東の豊山県にあった豊岳書堂(プンアクソダン)がその始まりで、1572年に柳成龍が現在の位置に移し、屏山書堂としました。文禄・慶長の役で焼き払われた後も、1607年に再建、そして祠堂『尊?祠(チョンドッサ)』を建てて書院になりました。その後、屏山書院は地方教育機関の一翼を担い、多くの学者を輩出し続け、1868年、大院君の書院撤廃礼においても難を逃れた47の書院のひとつとなりました。

書堂と書院の違い
一般的には、両方とも私学の教育施設ということは共通していますが、書院には祭祀を行う施設(祠堂)があります。道学的に先賢を祭るというのが主旨で、李退渓の陶山書堂も、柳成龍の屏山書堂も、それぞれ教え子たちが祠堂を建ててから書院となりました。また、祠堂で行われる祭祀は現在に至っても、毎年行われているそうです。

自然と屏山書院
自然と木造建築の調和が高い評価を得ているのも屏山書院の特徴です。屏風を広げたような優雅な稜線を湛えることから、その名を冠したと言われる屏山を正面にして、その山の手前には洛東江が流れます。そして不思議なのは、江の辺に広がる美しい白砂の砂浜。川のカーブによる堆積が生み出したのか、山の緑、川の青、砂の白が風光明媚な情景を作り出しています。
構造

構造

尊?祠
書院の内部もっとも上部に位置しています。柳成龍とその第三子、柳珍の位牌が祭られています。
立教堂(イッキョダン)
教え子が先生に教えを受けていた講学堂、いわば教室。立教堂は中央は講学堂、東側は名誠斎、西側は敬義斎の3部屋に分かれています。『芯の通った教育をする』という意味混め、立教堂は敷地の中央に作られています。また、立教堂からは入り口の門が見通せるようになっています。これは教師が入ってくるときにすぐに気づいて礼を尽くすという意味があるのだとか。
典祀廳(チョンサチョン)
位牌が置かれている、尊祠の右側に位置する建物。尊祠にお供え物をするときに準備する建物です。
東棟と西棟
立教堂と晩対楼の中間に位置する、向かい合った建物。当時は学生たちの寄宿舎として使われていました。
晩対楼(マンデル)
屏山書院最大の見所。階段を上がると広々とした広間になっていて、周りの景色を見渡せます。もともとは学生たちが、行事などがあって一同に会す時、こちらの楼を使っていたのだとか。ここから見渡す屏山の優雅の風景はすばらしく、何も考えずに座って景色を眺めていたくなってしまいそう。また、釘を使わない貴重な木造建築として、当時の建築技術を残した、貴重な歴史的財産として位置づけられています。
復礼門(プッレムン)
書院の正門。復礼門とは、この門をくぐる前に礼儀を尽くすという意味だそうです。
風水地理で見る屏山書院
風水学的に見ると、屏山書院が建つ位置は目の前に高く険しい屏山がそびえ、川は速く流れているので、土地の気運が押し流されるこのような地形では、財が貯まらず、人が住む場所としては適さないと言われていました。しかしながら、早く学問を修了して、社会に出なければならない教育施設としては、大成功しました。周りに人が住まなかったため、学問に打ち込むに障害はなく、優雅な景観が、厳しい書院の規律や学問によるストレスを癒していたのだと考えられてきました。住居には向かなくとも、書院としては最適な場所だったそうです。

安東の達人たちが、推薦する屏山書院は、木造建築の素晴らしさを残した重要文化財というだけではなく、自然環境を生かした、とても素敵な場所でした。晩対楼の上でずっと外を眺めていたり、砂浜を散歩したり、ゆったりとした観光におススメです。以上、ナビが安東からお送りしました。

記事登録日:2005-07-21

ページTOPへ▲

ユーザーアルバム

  • photo

    norehayo

  • photo

    norehayo

ページTOPへ▲

関連タグ: 洛東江 儒教 柳成龍 書堂

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

スポット登録日:2005-07-21

スポット更新日:2012-03-23

チェックイン日
宿泊数
部屋数 部屋1 大人 子供

関連記事

安東 / アンドン

安東 / アンドン

年間100万人以上の観光客が訪れる両班文化の故郷