善徳女王の撮影地&関連史跡を巡ろう!

慶州旅行のついでにドラマの撮影地、関連史跡を巡る観光を楽しむ!

こんにちは、プサンナビです。2009年に視聴率50%という勢いで国民的ドラマとなった「善徳女王」。日本でも最近、放送が始まり、日本からもファンが訪れて撮影地や関連史跡を回るツアーに参加している方もいるんだとか!また、ドラマに興味がなく、善徳女王って誰?という方も、新羅27代目の初の女王といえば、なんとなく興味がわいてきませんか?ということで、せっかく慶州に旅行にいくのなら、そういった歴史を事前に頭に入れて、かつ、その撮影地や関連史跡などを巡ってみる慶州の観光コースもオススメ!
今回は善徳女王に焦点を当てて、慶州の観光コースをご紹介していきたいと思います。

善徳女王とは?

まずは、ドラマで大ファンになった方はすでにご存知の方もいらっしゃると思いますが、まだ、知らない方のために、女王について簡単に説明していきたいと思います。善徳女王は、新羅27代目の王、新羅時代初の女王として、632年から647年在位し、新羅が三国統一を図るきっかけを掴んだのも、この善徳女王の時代から始まったといわれています。また、慶州の新羅時代の史跡としても有名な芬皇寺や瞻星台も築いたといわれている新羅芸術を作った重要な王の一人とされている人物です。

ドラマの中心的な撮影地・新羅ミレニアムパーク

慶州の観光リゾートエリア・普門団地のすぐ脇にある歴史テーマパークが新羅ミレニアパーク。新羅時代の建物や文化を再現したテーマパークとなっていて、新羅時代の文化体験や「花郎」といわれたエリート集団の馬術ショー、特殊効果を使った大規模ショーなどが見られます。中は広々としているので、子連れの方にもかなりオススメ!
このテーマパークの中に、約20億ウォンをかけて作られたドラマのセットがあり、新羅宮廷や花郎山砦などで撮影をしました。撮影地は、一般開放しているので、毎日国内外からたくさんの観光客で賑わっています。

皇龍寺址の九層木塔

新羅三宝の一つと数えられる皇龍寺址内にある九層木塔。建設されたのは、645年ごろといわれ、善徳女王の時代に作られました。 『三国遺事』によれば唐の国に留学に行った慈藏(チャジャン)という僧侶が神のお告げを聞いて、善徳女王に九層木塔の建設を説いたといいます。善徳女王は百済より当時最高の工匠と言われた阿非知(アビジ)を呼び寄せ、2年間かけて九層木塔を完成させました。現在はこの阿非知の記念碑が九層木塔の跡地のすぐそばに建てられています。九層木塔には当時の新羅を取り囲む9つの外国から国を守るという意味が込められていました。こちらの皇龍寺址は、残念ながら現在残っているのは寺の跡だけで、荒野のような感じになっています。

新羅時代を語るなら、慶州国立博物館

皇龍寺址に行った後は、皇龍寺の60分の1のサイズが復元されて展示されています。直接見てきたものを膨らませるような気持ちで見てみると、当時の新羅時代の雄大な寺院が浮かんでくるはずです。

東洋最古の天文台・瞻星台

王権強化や庶民の暮らしの質をあげるために天文台を作ったといわれています。これにより、天気を観測し、農業などに役に立てたといわれ、庶民から信頼を得る形にもなったといわれている天文台です。

善徳女王のための芬皇寺

芬皇は「花のような皇帝」という意味で、これは善徳女王を意味しているといわれて、女王のために立てられた寺院だといわれています。634年に創建され、当時の有名な僧侶慈蔵(チャジャン)や元曉(ウォニョ)が立ち寄った場所としても有名。また数々の貴重な文化財が残されている寺としても知られているところです。

金庾信将軍墓

新羅を統一させた英雄とも言われているのが、このキム・ユシン。3代の王に仕えた人物として、善徳女王にも使え、活躍したといわれています。ドラマ内でも、この将軍の役を演じている方がいますよね?
善徳女王の時代、ちょうど日本は大化の改新の時代で、新羅の日本の関係はかなり友好関係にあったといわれています。そんな背景も知りながら、女王の足跡をたどってみる旅はいかがですか?

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2010-04-28

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