みんみん鳥の鎮海探訪記(2007年3月)

父がかつて住んでいた鎮海へ


釜山行きの飛行機は14時発。早めに、11時には到着するように家を出た。ところが着いた途端に、「釜山行きは3時間遅れです。聞いてませんか?」と告げられたのだった。聞いてないよ!どうやら、連絡が入れ違いになったらしい。なんでも、悪天候のため釜山の空港が使えないとか。出発は17時半。結局計6時間、成田で足止めを食らう破目になった。お詫びに(?)1500円のミールクーポンが渡されたので、限度額いっぱい食べてやった。

2007年3月から、液体類の機内持ち込みの制限がさらに厳しくなり、100ml以下の容器に入れ、それを透明な20cm X 20cmの袋に入れるということになった。シャンプーなどはサンプルをもらってきてできるだけ嵩を減らしたが、それでも小さすぎるよ。ラッシュ時じゃなかったからか、すぐに通過できた。

大韓航空の客室乗務員の制服は、浅葱色とオフホワイトでまとめられ、清楚で爽やかな感じだ。日本語もバッチリだ。ドリンクサービスにウーロン茶がなかったのが、なんとなく意外だった。

釜山まで東京から約2時間。釜山の金海空港に着いたのは結局20時ごろだった。ビックリしたのは、7つほどもある入国審査のブースのうち、外国人用なのは1つだけで、あとは皆自国民用だったこと。不親切だなー。そしてさらに保安審査で荷物のチェックが入った。成田で両替したお金は1万ウォン(1ウォン=約0.15円)という大きなお札でしかもらえなかったので、コンビニに走り、水とバナナミルクとアンパンみたいなパンを買って細かくした。物価は、公共交通機関はともかく、日本と較べて安いと言う感じはしなかった。

市内へは「座席バス」201番を利用した。ハングルは読めないので「西面(ソミョン)」と書いたメモ帳を運転手に見せて行き先を確認し、そして料金1500ウォンを払って一番前の席に陣取った。市内に近づくにつれ、ハングルの文字が増え始めたが、あまり「異国に来た」という違和感はない。約1時間後、西面のロッテ・ホテル前に到着すると、運転手は振り返って「西面」と言った。「カムサハムニダ(ありがとう)」と言うと「アンニョンヒカセヨ(だったかな?「さよなら」)」と返してくれた。
<宿泊先「ホテル・クラウン」>

<宿泊先「ホテル・クラウン」>


ホテルはここから地下鉄に乗って2駅、凡一洞(ボンミルドン)の「ホテル・クラウン」。映画のロケにも使われたそうだ。ここのスタッフも日本語OKだったので、ここでも言葉の苦労はなかった。ちょっと建物は古いが、部屋はツインをシングルユースしたので広かったし、バス付きだし、NHKが見られたのでよかった。

翌朝地下鉄に乗り込むと、「う、キムチくさい」。スポーツ大会でもあるのだろうか、朝っぱらからジャージ上下の中高年の姿が目に付いた。釜山の地下鉄は、駅にそれぞれ通し番号があり、その番号を頼りに切符を買うことが出来る。1区間1100ウォン、2区間1300ウォン。券売機は、1000ウォン札と100・500ウォン硬貨しか使えない(おつりは出る)。
<西部バスターミナルへ至るビルの入口>

<西部バスターミナルへ至るビルの入口>


地下鉄を乗り継いで沙上(ササン)の西部バスターミナルへ。地下鉄の駅から地上に出ると、目の前にビルが建っており、そのビルを通り抜けるとバスターミナルである。2階部分が切符売り場で、1階が発着所。鎮海まで4200ウォンだった。

釜山からバスで1時間、海沿いの道を通って鎮海の街に到着。毎年桜の時期に行われる「軍港祭」―今年で45回目を迎える―にあわせて行ったのだが、生憎まだ咲いていなかった。とはいえ街路という街路に万国旗がはためき、屋台がひしめき合い、移動遊園地まであってお祭ムード満点。案内係に中高生や中年女性まで総動員され、町中でこのお祭を盛り上げているのが分かった。しかしこんな地方都市のお祭に日本人が1人で来ているとは思わないのか、ためらいもなく韓国語で話しかけられドギマギした。
<中園ロータリー>

<中園ロータリー>

小高い丘の上にある帝皇山公園に登る。階段は365段で、そのため「1年階段」とも呼ばれているそうだ。山頂にある「鎮海塔」から街を望めば、円形のロータリーを中心に街路が放射線状に伸びているのがわかる。お祭のメイン会場の「中園ロータリー」は、父がいた頃は「中辻」と呼ばれ、真ん中に大きな榎の樹が立っていたとのことだ。父が10年ほど前訪れた折に撮った写真には、真ん中のロータリーに植え込みや時計塔や亀甲船の模型が置かれていた。今はそれすらも取り払われ、お祭のためなのか、青いシートが敷き詰められている。
<父が住んでいた場所>

<父が住んでいた場所>

父が住んでいた場所はここからすぐ近いところにあったが、今では公民館みたいな建物が建っていた。「右斜め向かいには『鎮海豆』を売る相川商店があって・・・」とも言っていたがそれもなく、日本の植民地だった頃の面影は、鎮海駅の駅舎や中園ロータリーに面する郵便局の建物くらいにしか残っていないようだった。

そもそも鎮海が「桜の街」になったのは、ロシアとの開戦に備えて日本が軍港を設置したことに始まる。日本海軍の象徴として桜が植樹されたのだが、終戦とともに、日本をイメージさせる桜は次々と切り倒されたそうだ。しかし戦後、「鎮海にあった桜の樹は、韓国原産のものだった」という研究が発表されると、再度植えられ始め、今では22万本の桜があると言われている。咲いていたら桜の海、さぞや素晴らしい光景が見られたことだろう。
桜は残念だったが、「軍港祭」の期間に合わせて海軍士官学校が一般公開されていたので、そちらに行ってみた。戦後の鎮海には、日本に代わって韓国海軍の施設がおかれるようになった。士官学校がある場所も、元は日本の水上機の海軍航空隊があったそうだ。門の近くまで行ってみると、案内の水兵服の学生に「歩いては入れない、バスか車で」と言われた。お互い怪しげな英語でやり取りしたところ、バス乗場は「南園ロータリー(元・南辻)」にあるらしい。とりあえずその辺りまで引き返したが、バスの乗場が分からない。案内所のオバチャンにわざと英語で「Excuse me・・・」と言ったのに、韓国語でまくしたてられ大弱り。苦し紛れに「チョヌン イルボンサラム(私は日本人です)」とか「I don’t understand Korean」とか言うと、やっとこちらが日本人だとわかったらしかった。とりあえず、「プス、プス」というのがバスのことで、指差す方向から中園ロータリーから出ているということがわかった。
<昔と変わらぬ鎮海駅(左)と郵便局(右)> <昔と変わらぬ鎮海駅(左)と郵便局(右)>

<昔と変わらぬ鎮海駅(左)と郵便局(右)>

<亀甲船>

<亀甲船>

校内には「亀甲船」と呼ばれる昔の軍船が展示されていた。これは豊臣秀吉の朝鮮出兵の折、迎え撃った李舜臣将軍率いる水軍の船を復元したものだそうだ。船首に竜の頭がつけられ、上部を硬い甲板で覆われていたことからこの名がある。合戦の様子を描いた絵画には、何艘もの軍船に混じって、「亀」が何匹も泳いでいた。
<北園ロータリー(元・北辻)に建つ李舜臣像>

<北園ロータリー(元・北辻)に建つ李舜臣像>

この李舜臣将軍は韓国では英雄と讃えられており、鎮海にも、釜山の龍頭山公園にも銅像が建っている。鎮海がそんな昔から日本と関わりがあった場所だとは、想像だにしなかった。
<韓国のうどん「ククス」3000ウォン>

<韓国のうどん「ククス」3000ウォン>

お昼はせっかくだから、屋台で食べることにした。海に近い街だけあって、魚介類が満載。適当に歩いて、客引きのオバチャンに呼び止められたお店に入った。壁に食べ物の写真があったので、細めのうどんのようなものを指差して頼んだ。「ククス」と言うらしい。何の気なしにかき混ぜたら、香辛料で真っ赤になって非常に辛かった。

さあ、もう1時だし、そろそろ帰るか。とはいえ釜山みたいなバスターミナルは見当たらないし、どこから乗るんだろうとキョロキョロしていたところ、あるバス停の前でどこからともなく「釜山?釜山?」と言いながら男が現れた。面食らっていると、「アイム ア チケットマン」と名乗り、切符を売ってくれた。おまけに釜山行きのバスを停めてくれたので助かった。
<釜山タワーからの眺め。入場料3500ウォン(約500円)>

<釜山タワーからの眺め。入場料3500ウォン(約500円)>

いつのまにか眠っていたらしい。気がついたら、釜山の一歩手前辺りまで来ていた。下段(ハダン)という場所で降りる。ここで降りれば、南浦洞(ナンポドン)まで地下鉄で10分ほどだ。南浦洞駅の近くの小高い丘の上に龍頭山公園という公園があり、エスカレーターでらくらく行ける。釜山市民の憩いの場にもなっているようで、ベンチというベンチを老人が占領していた。釜山タワーに登り、展望レストランでカキ氷を食べて一息つく。日本語のメニューには、「おしるーこ」「ぜんざり」という珍妙な日本語が載っていた。そこから眼下を見ると、カモメが羽を広げたような屋根をしたチャガルチ市場や、釜山の港、蟻も這い出る隙間もないほど密集した住宅地が広がっていた。山を降りて、釜山一の繁華街、南浦洞や光復洞(クァンポクトン)、そして国際市場(クッチェシジャン)を散策した。日曜日ということもあって、芋洗いのような混雑だった。
<カルビスープ。7000ウォン(約1,000円)>

<カルビスープ。7000ウォン(約1,000円)>

夕食は、ホテルの近くの店で食べた。メニューを覗き込んでいたらお店の人と目が合い、「入れ」と手招きされたのだ。ここでも容赦なく韓国語で話しかけられ、しどろもどろになりながら「ジャパニーズ」と言うと、日本語の判る人を連れてきてくれた。日本語のメニューを見せながら、「ソルロンタンは牛肉のスープで・・・」と最初から説明しようとする。きりがないので、2つめのカルビのスープのところで「これ下さい」と言った。しばらくすると、キムチを何種類か持ってきた。白菜のキムチをハサミで切りながら「これは白菜のキムチで、これは何々の・・・」と説明していった。その後、カルビスープとご飯が出た。スープの味はあっさり。キムチで味付けするからいいのかしら。周囲を見るとご飯をスープの器に入れ、猫マンマにして食べている。真似して私もそうする。先ほどの男性が、「ゴ飯・・・ヒトツ・・・」と言う。「お代わり」ってこと?よそってもらおうと思ってご飯の入っていたステンレスの器を差し出すと、向こうは困惑した表情でそれを下げ、ご飯の入った別の器を持ってきた。
<金海空港>

<金海空港>



来たばっかりだというのにもう帰国だ。翌日、西面のロッテ・ホテルの前から201番のバスにのって空港に向かった。郊外の工場地帯に向かう朝のラッシュに巻き込まれ、市内を出るのに30分くらいかかったが、その後はわりとスムーズにいった。チェックインも、電子チケットだし、座席も既にインターネットで指定済みだったのであっという間に終わってしまった。液体の持込物について見本が幾つか置いてあり、それぞれ「これは○、こういうのは×」というふうに提示されていた。これはわかりやすくていいな。
荷物になるのが嫌なので、おみやげは最後に空港で買うことが多い。父へは高麗人参のサプリメント、母へは紫水晶のペンダントをおみやげに買った。友人らへは、海苔の入ったチョコを買ってみた。そんなに海苔の味は主張していないが、それでも最後に海苔が口の中に残ってガサガサする、といった具合で面白い味だった。

10時10分、搭乗も終わって座席でくつろいでいたところ、スタッフが「これをお忘れではないですか」と言って私のもとを訪れた。その手には、お金の入った封筒が握られていた。おみやげ屋で置き忘れたらしく、お店の人が届けてくれたそうだ。のん気なのにもほどがあるよ!すんでのところで悲鳴を上げるところだった。

帰国後、父に写真を見せた。「ずいぶん変わった」と言いながら、すっかり様変わりした街の写真に見入っていた。
おまけ。
両班(昔の貴族階級)に扮した士官学校の学生。
「チャングムみたい」と、記念写真に引っ張りだこでした。





その他情報

-名前 : みんみん鳥
-年齢 : 不詳
-出身地 : 神奈川県
-在韓歴 : 渡韓歴 2回(ソウル1回、釜山1回)

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2007-06-15

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