文武大王陵(慶州)

ムンムテワンヌン문무대왕릉

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肉体は死すとも龍となって国を守る、海中墓に眠る新羅第30代国王

龍となって国を守った文武王伝説
時代はさかのぼって7世紀。4世紀から続いた新羅、百済、高句麗の三国体制がついに崩れた。660年、新羅の第29代国王、武烈(ムヨル)王が、唐と連合して百済の国を制圧。翌年、武烈王は覇業半ばにして病に倒れるも、息子文武(ムンム)王が後を継ぎ、668年高句麗を打ち倒した。新羅は念願の三国統一を達成。しかし、半島の平和は依然予断を許さない状況であった。同盟国であった唐との争い。そして海からは倭兵の進入の恐れもあった。国の行く末を案ずる文武王は、生前ことあるたびにこう語っていたという。

「死後、わが身は願わくば護国の大竜となり、仏法を崇めいただいて、この国を守護していたいものだ。」(三国遺事)

また文武王は次のような遺言を残した。
「いたずらに私財を費やし人力を使っても。幽魂を救うわけではない。立派な葬儀は私の楽しみとすることではない。息をひきとってから10日ののちに、西国の方式で火葬を行いなさい。喪の制度もつとめて質素にしなさい。」(三国史記)

陵墓を築かないことも、遺骸を火葬にすることも、当時としてはたいへん異例のことだった。死してなお国を守りたい。民を思う文武王の人柄がそこからは窺われる。
681年の秋に文武王は亡くなった。群臣たちはその遺言に則って、文武王を東海の浜辺近くにある大石の上に葬ったという。やがて王は生前の言葉通り、龍に化したと伝え残されている。王の化身である龍の姿が見られたところは利見台と呼ばれ、そこからは現在も大王陵の全景を真正面に望むことができる。

<参考文献>
金富軾編、井上秀雄訳、『三国史記』、平凡社、1980年
三品彰英撰、『三国遺事考証 中』、塙書房、1979年

アンニョンハセヨ、慶州ナビです。上の伝説は新羅の第30代国王、文武王にまつわるものです。慶州市から東へ約32km。バスで約1時間の距離に文武王の墓があります。文武王の墓は浜辺から見える大きな岩。世界でも珍しい海中にある陵墓です。死してなお龍として国を守る。そう言い残して死んだ、偉大なる王の墓がここにはあります。この文武大王陵が見られる浜辺は奉吉(ポンギル)海水浴場。夏場は海水浴客で賑わう美しい浜辺です。

海中墓に眠る新羅第30代国王
浜辺から約200m前方。カモメたちの休憩所にもなっている大きな岩があります。この岩こそが文武大王陵(ムンムテワンヌン)。別名、大王岩(テワンアム)と呼ばれる場所です。この大きな岩礁は四方に人工的な水路が掘られており、水路の真ん中には大きな空間が設けられています。その空間には大岩が置かれ、その下に王の遺骨を安置したと推測されています(遺骨を葬ったのではなく火葬後の散骨場所との学説もあります)。こうした海中墓は世界的にも類例のない珍しいものだそうです。
利見台(イギョンデ)
奉吉海水浴場からみる大王陵も美しいですが、この大王陵を見るためにあつらえた場所というのがあります。奉吉海水浴場から大鍾(テジョン)川を越えて北へ。国道沿いに立つこの建物は利見台と呼ばれ、文武王の息子である第31代国王、神文(シンムン)王が、龍となった文武王の姿を見た場所として伝えられています。ここからはちょうど大王岩が真正面に見えます。現在の建物は1970年の発掘調査を元に復元されたものです。利見台は史跡第159号に指定されています。
感恩寺(カムンサ)址
利見台へ向かう道の途中で左手に曲がり、しばらく行くと感恩寺址があります。感恩寺は文武王が倭兵の侵入を仏力にて守ろうと建設を始めた寺。文武王の没後、神文王が後を引き継いで完成させました。名前の感恩寺は、父王の恩恵に感謝するという意味でつけられたといいます。
この感恩寺の特徴として金堂(本堂)の下に空間が設けられているというのがあります。これは龍になった文武王が大鍾川に沿って感恩寺まで来られるようにとの意味でつくられました。現在は金堂址のほかに、国宝第112号に指定された2つの三層石塔が残ります。この石塔からは1959年に行われた解体修理の際、精巧な青銅製舎利装置が発見されています。石塔から出てきた遺物は宝物第366号に指定され、現在は国立慶州博物館に展示されています。
奉吉海水浴場(ポンギルヘスヨッジャン)
長さ500mほどのビーチは、夏場のみならず、文武大王陵を目当てに来る人たちで1年を通して賑わいます。周辺には刺身屋も多く、ズワイガニやカレイなどの海産物を味わうことができます。海水浴場として開放される期間は7月10日から8月31日までとなっています。
夜の文武大王陵を訪ねる
日が暮れて真っ暗になった夜の浜辺を訪れてみました。闇の中に点々と浮かぶほのかな明かり。近づいてみると、それはろうそくの火でした。地元の人たちが大王陵に向かって捧げる炎。そして祈り。大王陵は新羅の時代からこの地域の人たちにとって信仰の対象であり続けました。暗闇の中で熱心に大王陵を拝む姿が印象的でした。
文武大王陵への行き帰り
市外バスターミナルから150番バスに乗り文武大王陵で下車します。バスの乗り場については下記をご参照ください。慶州の市街地からはだいたい1時間くらいの道のり。料金は片道1500ウォンになります。文武大王陵への行き帰りはバスの時間にご注意ください。1時間に1本ほどしかバスはありません。帰りのバスの乗り場は写真のバス停から道路を挟んだ反対側になります。150番のバスが来たら手をあげて運転手さんに乗車の意志を伝えましょう。事前にチケット購入の必要はなく、中で支払います。
陽南行き
6:30/7:10/8:00/9:10/9:50/10:40/11:30/12:30/13:30/14:25/15:30/16:10/16:55/17:50/18:50/19:30/20:30/21:30

慶州行き
6:25、7:25、8:05、8:55、9:40、10:45、11:25、12:35、13:25、14:25、15:10、16:05
慶州市街地からは陽南(ヤンナム)行きのバスに乗り文武大王陵にて下車。時刻表は市外バスターミナルの出発時間です。(2002年11月現在)
慶州の史跡を訪ね歩いていると、必ず文武王の名前にぶつかります。三国統一を果した文武王。その王陵は一見の価値ありではないでしょうか。それでなくとも世界的に珍しい水中墓。市街地から距離はありますが、周辺の見所も含めてお薦めしたい観光地のひとつです。以上、ナビでした。

記事登録日:2002-12-05

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スポット登録日:2002-12-05

スポット更新日:2012-06-20

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