蔚山倭城(鶴橋公園)

ウルサンエェソン(ハッソンゴンウォン)울산왜성(학성공원)

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蔚山城の戦いが行われた跡地。現在は市民の憩いの場所!

こんにちは、プサンナビです。釜山市内や釜山周辺には豊臣秀吉の頃の「文禄・慶長の役」で作られた倭城がいくつか残っています。その中でも特に保存状態が良いとされているのが加藤清正が築城したといわれる「西生浦倭城(ソセンポウェソン)」。今日は、その西生浦倭城からさらに北へ数十キロのところにある「蔚山倭城(ウルサンウェソン)」をご紹介しましょう、こちらは加藤清正が陣取っていた西生浦倭城から近く、毛利秀元や浅野幸長によって築城され、昼夜問わずの工事で40日ほどで完成されたといわれる城。ただ築城間もなく激しい交戦が始まり、城の跡はほとんど残っていません。現在は高台のようになっていて、昔の城の様子や石壁などを垣間見ることができます。さっそく行ってみましょう!

倭城とは?

公園内には跡地を思い浮かべられる表示も!

公園内には跡地を思い浮かべられる表示も!


昔、豊臣秀吉が朝鮮半島を侵攻して起きた「文禄・慶長の役(韓国での呼び名は壬辰倭乱(イムジンウェラン))。当時、戦略の根拠地の確保や連絡の拠点、攻撃への防衛のために築造された城は倭城と呼ばれ、蔚山市から全羅南道順天市の間には倭城の跡が全部で30以上もあると言われています。これらの倭城からは戦国時代に発展した日本の築城技術を知ることができるため、歴史好きの間で大きな関心を呼び、研究対象にもなっています。現在、城跡は市民の憩いの公園として利用されていますが、歴史的な関心から見学にやってくる観光客も多くいます。

蔚山倭城とは?

本丸からの眺め

本丸からの眺め

蔚山倭城は蔚山のほぼ真ん中を流れる川の横にある50mほどの山の上に築かれた山城で、市内を一望できる場所。頂上に本丸、北に二の丸と三の丸が置かれ、外側には2.6キロにも及ぶ塀があったといわれています。1597年ごろに作られた城ですが、完成までわずかだったところを攻撃され、食料などの備蓄もなく、すさまじい交戦が繰り広げられたといわれています。そのあまりに激しい戦いから、現在でも残っているものはほぼなく、高台に築かれた石壁が当時のものらしい・・・と思わせるものだけ。城内にあった本丸や二の丸といった場所を教えてくれる表示などがあり、高台から 蔚山市内を眺めると、当時もこの高台から見張っていたのではないか・・・そんな想いをはせることができます。

現在は市民公園・鶴橋公園


歴史的な遺跡でありながら、現在は市民の憩いの場所として名前も鶴橋公園(ハクソンコンウォン)として利用されている蔚山倭城。土地は高台のまま残され、高台を散歩するハイキングコースや健康器具なども配置され、運動をしたり、遊んだり、市内の景色を楽しんだりできるようになっています。

城跡としてほぼ残っていないけれど、2004年に地方文化財として指定された蔚山倭城。釜山から行くのは少し遠いけれど、歴史に興味のある方は是非一度訪れてみてはいかがですか?きっと興味深い観光ができるかも!?以上、プサンナビがお送りしました。

記事登録日:2013-07-24

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スポット登録日:2013-07-24

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