首露王妃陵(金海)

スロワンビルン수로왕비릉

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インドアユタヤから伽耶の国へ来たと言われる首露王妃の眠る処

アンニョンハセヨ、プサンナビです。プサンナビでも何度か紹介しているのでご存知の方も多いとは思いますが、金海市を中心とした地域はかつて、鉄の生産で地位を築いた伽耶(カヤ)の国が栄えた場所でもあります。今回は、その伽耶を建国したと言われている首露王(スロワン)の王妃の眠る首露王妃陵に迫ってみたいと思います。
伽耶とは?
西暦42年首露王(スロワン)が駕洛国(金官伽耶)を建国し、朝鮮半島の南部にあった6つの小国を形成して伽耶と呼ばれている。鉄の製造が盛んだったと言われている伽耶時代の古墳からは鉄製品の副葬品が多く出土し、また同時代の日本の古墳からも同型の鉄製品が出土されていることから交易の交流があったとされている。西暦42年に建国してから10代まで王位が続き、西暦562年、当時勢力のあった新羅に攻められ、520年の伽耶の歴史に幕を閉じた。新羅が攻めてきた当時、戦乱を逃れるためたくさんの伽耶人が鉄の交易があった日本に移住したともいわれている。
インドからやって来た王妃
伽耶を建国した首露王の王妃「許黄玉(ホファンオッ)」は、インドアユタヤから西暦48年、王女16歳のとき、船に乗り、伽耶の国へ首露王王妃として嫁ぎ、189年になくなったと言われています。王妃が産んだ10人の王子の中で二人を王妃の苗字である許(ホ)氏と名乗ったという神話が残されていることから、現在でも、首露王の金海金氏と首露王妃の許氏の結婚は禁じられているそうです。また、首露王妃陵は1641年に改築されて今の形になり、境内には内三門、外三門、紅箭門などの建物や王妃陵を見て右側に婆娑石塔(パサソッタッ)というものがあります。
この婆娑石塔と言うものが、王妃がインドからやって来たと言われる神話を裏付けるものとして注目されている石塔なんです。王妃が遠いインドから伽耶の国まで無事に到着できるように、風と波を鎮めるため、インドから王妃と一緒に船に乗せられてきたものだと言われています。少し奇怪な彫刻や赤い紋がポイントとなり、インドの石で作られたと言われ、風と波を鎮める不思議な塔ということから鎮風塔とも呼ばれます。尚、この石塔は慶尚南道の文化財資料第262号に指定されています。そういった神話から今でも、航行の無事を祈るためにこの石塔を訪れる船乗りの家族が絶えないんだそうです。
伽耶誕生の秘話のある場所
王妃のお墓から左側に散歩道が続いています。そこを道なりに進んで行き、国道を越えると、伽耶の国を建国した首露王の誕生秘話が隠されている場所に着きます。6つの金の卵が空から降りてきて誕生したと言われている首露王ですが、その6つの金の卵が降りてきたといわれているのがこの亀旨峰(クジボン)という丘。丘の上には、記念碑や首露王陵を望む展望台もあります。
今から遠い昔にはるばるインドからやって来た首露王妃。そんな時代を想像するだけでなんだか神秘的な歴史を楽しめるような気がしませんかぁ?釜山からそんなに遠くない場所に素敵な歴史を感じられる場所がありますよ!以上、プサンナビがお伝えしました。

記事登録日:2004-06-18

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スポット登録日:2004-06-18

スポット更新日:2012-01-05

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