福泉博物館

ポッチョンパンムルグァン복천박물관

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2000年前の釜山を裸足で歩こう

アンニョンハセヨ、プサンナビです。東莱(トンネ)は李朝時代の学校や城、役所の建物など歴史的な建造物がたくさん残る町です。その東莱から約2000年前の遺跡が発掘されました。東莱区福泉洞(トンネ区ポッチョン洞)の古墳郡です。伽耶時代の遺跡や日本との活発な交流について知ることのできる、貴重な出土品がたくさん発掘されたそうです。やはり日本と釜山は近い場所。2000年前の日本と釜山はどのような交流をしていたのか。伽耶はどのような国家だったのか。調べてみたいと思います。
2000年前のお墓で一休み
福泉博物館までは向かって右手に伸びる森の中のような道を歩いて行きます。博物館へのぼっていく坂道はやや傾斜がきついですが、そのぶん景色がとても綺麗です。建物の前に設けられた小さな休憩所はお年寄りたちの憩いの場。福泉博物館へあがる階段の横には車椅子のためのスロープも設置されています。
博物館の入口に立つと釜山市内と福泉洞古墳郡が一望にできます。芝生に覆われた福泉洞古墳郡には野外展示館も設けられており、発掘当時の古墳内部がそのまま展示されています。野外展示館はドーム形で、まるでイグルー(イヌイットの家)を見るかのようです。野外展示館の散歩コースを歩いてみるのもおすすめです。
日本や中国との交流を示す生活断面図
売場で買ったチケットは入口のチケット入れに直接入れます。入って右手にはお土産コーナーがあり、正面には各年代別の説明が韓国語で書かれています。博物館の1階は企画展示室。ナビが訪れたときは「出会い−古代アジア文物交流展」が開催されていました。展示室の前には小さな休憩コーナーがあり、その横に映像室があります。トイレは映像室の向かい。その脇の階段をあがると常設展示室になります。
福泉博物館の常設展示場は2階と3階です。2階の第1展示室では弁韓(釜山地域の古代国家)や伽耶時代の出土品、古墳の形態などを見ることができます。大量の土器や青銅器、鉄器などの品が展示されており、特に青銅の剣に施された装飾が目を引きました。変わった文様の装飾具も数多くありましたが、当時の日本や中国との交流が影響しているのでしょうか。
3階の第2展示室は入口が印象的でした。福泉洞古墳郡をマルチメディアで表現したようで、釜山市立美術館に展示されていた白南準(ベク・ナムジュン)の作品『徳寿宮』を思い出しました。ここでは装飾具と鎧、馬具など数多くの出土品をマネキンに着せて展示しています。
福泉洞古墳郡データ
東莱区福泉洞古墳郡は東莱地域を半月状に取り囲んでいる馬鞍(マアン)山中央部から西南方向に伸びる丘陵地に位置します。敷地面積17,041坪。文化財指定区域が20,781.1?、文化財保護区域が25,063.4?、文化財非指定区域が8,517.3?です。展示館の延床面積は6,789.2坪。地上3階地下2階という構造になっており、野外古墳、造景施設、駐車場などがあります。
今まで発掘調査された古墳は全部で169にも上り、土器3,000余点、鉄器1,000余点、装飾具4,000余点など、合わせて10,000点余りの出土品が発掘されました。福泉洞古墳郡は釜山で唯一という6世紀以前の古墳であり、時代別に変化する古墳の構造や遺跡の特徴を通じて、この地方における支配層の性格や文化の姿を学ぶことができます。また伽耶や新羅の古墳文化はもちろん、国内外他地域との文化交流をふまえた国際関係までも伺い知ることのできる貴重な資料だといえます。
裸足で歩こう
福泉博物館本館を見終わったら建物の入口から見える野外博物館に場所を移しましょう。階段を降りて芝生が見え始めたら裸足で歩いてみるのも爽快です。草を踏む懐かしい感触が味わえます。かつては墓としての姿を見せていましたが、現在は公園のように造り変えられました。野外展示館へ降りていくと出土当時の墓がそっくりそのまま保存されています。2000年前の墓を裸足で歩きながら、プサンナビがお伝えしました。

記事登録日:2002-10-02

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スポット登録日:2002-10-02

スポット更新日:2012-02-01

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