SANAの釜山特派員レポート・第5回「映画の街・プサンに『林権沢監督映画芸術大学』誕生」

第5回「映画の街・プサンに『林権沢監督映画芸術大学』誕生」

プサン国際映画祭の開催により「映画の街・プサン」としてのイメージが定着しつつあるプサンに、来年から新たに韓国映画界の巨匠・林権沢(イム・グォンテク)映画監督の名前を冠した単科大学が誕生します。

1. 韓国映画界の巨匠・林権沢監督の名前を冠した大学が誕生

7月26日付けの電子版・聯合ニュースで「巨匠・林権沢監督の名前を冠した大学が誕生…釜山」という記事を見つけて、早速、詳細を検索してみました。
同大学が誕生する東西(ドンソ)大学校の広報が発表している情報によると、同大学に韓国映画海の巨匠・林権沢監督の名前を冠する単科大学「林権沢映画芸術大学」が誕生するそうです。ひとつの分野で卓越した業績を残した偉人の名前を冠する大学ができるのは、韓国国内ではこれが初めて。林権沢映画芸術大学は、映画科・ミュージカル科・演技科の3学科で構成され、教授陣にはこれまでの映画専攻科や公演芸術学部の教授のほか、林監督と、林監督とともに長年活躍してきた「イム・グォンテク軍団」も参加するようです。

しかし、実は今までにも東西大学には映画を専攻する学科が存在していました。では、なぜ今このような単科大学を創設する必要があったのでしょうか?
東西大学の朴東順(パク・ドンスン)総長は「韓国映画界に大きな足跡を残してきた林監督の名誉を後世に伝え、その映画理論と現場での実務を同時に伝授することに、特化した大学で新たな人材を育成するため、今回のような型破りの大学を新設した」とし、また「同大学の特化した教育方式により人材のインフラを整備し、卒業生を卒業後すぐ、忠武路(チュンムロ:ソウルの映画産業の中心地)へ送り込む」ことにも期待しているようです。

何事もソウル一点に集中している韓国では、映画産業に関してもソウルに比べ、プサンは圧倒的に不利な立場にあります。プサンの大学で映画を本格的に専攻できる大学はおそらく東西大学だけでしょう。今回のように、卒業後の進路が少ない釜山で学ぶ学生にとって、ソウルの現場と直結した映画教育機関ができることは映画を学ぶ学生にとって非常に意味のあることだと思います。

2. プサンにおける映画教育機関・東西大学校

東西大学はプサン市・ササン区にある総合大学です。1991年に東西工科大学として認可され、今日に至ります。IT分野や工業分野を中心に、さまざまな功績を残していて、特に就職率は韓国内の大学の中でも高く、2006年には全国6位に入っています。学部は16に分かれ、その中で映画に関する学科は映像マスコミ学部の中の『映画(Film & Video)専攻』にあります。履修科目はドキュメンタリー撮影、サウンド、撮影ワークショップなど実践的な授業が中心です。
キャンパスは地下鉄・ネンジョン(冷井)駅から歩いて30分(?!)くらいの山の上にあります。一般的に韓国の大学は山に位置しているところが多いのですが、東西大学ほどヒドい場所は珍しいのではないかと思うほど、急斜面を登って行かないといけません。でも登りきったところにある大学からの景色は素晴らしく、夜はプサンの高層マンション群が眼下に広がります。

3. 林権沢監督の経歴

さて、日本で林権沢監督と言って知っている人は、一部の映画ファンか韓国映画ファンくらいで、一般的にはほとんど知られていないのではないでしょうか?ここで林権沢監督の簡単なこれまでの経歴を紹介します。
林権沢監督は1936年5月2日、全羅南道のジャンソングンに生まれました。1962年の「トマンガガ チャリッコラ(豆満江よ、さようなら)」で映画監督としてデビューし、2006年公開の「チョンニョンハッ(千年鶴)」までに100本の映画を製作した、まさに韓国映画界の巨匠です。作品の世界観は「個の人生と集団としての人生の関係を表現し、人物に重点を置きながらストーリーを展開させる。画面の余白の活用と切除の美徳を発揮し、韓国的なフレームという評価を受けている。」(引用:東西大学校のホームページより)主な作品は「曼荼羅」(1980年)、「将軍の息子」(1990年)、「祝祭」(1996年)、「春香伝」(1999年)、「酔画仙」(2002年)、「下流人生」(2004年)、「千年鶴」(2006年)。いずれの作品も、東西大学校のホームページにもあるように、まさに韓国的な情緒を醸し出す作品が多く、世界各国の映画祭でも数多くの賞を受賞しる、韓国映画の代表作ばかりです。

その中でも一番私が好きな作品は、「春香伝」です。「春香伝」は韓国に伝わる李氏朝鮮時代のお話を元にした映画で、ストーリーは階級の違う若い男女の純愛がテーマです。カットの韓国っぽさはもちろんのこと、この映画の中では韓国の伝統芸能であるパンソリが主なBGMとして使用されており、絶妙な寂寥感や若い二人のけなげさを演出しています。日本人にとって親しみのないパンソリは、最初こそは違和感がありますが、徐々にその世界観に引き込まれていきます。

しかしハリウッドのブロックバスターを見て育った新世代には、林権沢監督の映画はあまりにも韓国っぽ過ぎて理解できないという意見も多いようです。多くの若者たちはソウルやプサンなどといった都会で育ち、林権沢監督が描くような「韓国の田舎の情景」に懐かしさや韓国独特の空気を感じられなくなっているんですね。寂しいです。
日本では韓国映画というと、韓流スターたちが出るラブコメディーやラブストーリーの延長と捉えられがちですが、本当は長い歴史があり、世界に認められる名作も多いんです。本当の韓国エンターテイメント通は、ただ韓流スターたちが出演する作品を知り尽くすだけではなく、本当の名作への理解を深めて、さらにその背景である韓国の文化や歴史、政治史などにも注目していける人のことを言うんだと、私は思っています!!今回の日本から一番近い町、プサンに林権沢映画芸術大学校ができることで、日本からも韓国の映画を学ぶ人たちがたくさん留学してくれたらいいな、と思いました!!

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2007-11-09

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