首露王陵(金海)

スロワンヌン수로왕릉

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伽耶文化を築いた首露王が息づく処

アンニョンハセヨ、プサンナビです。釜山の空の玄関口がある金海(キムヘ)市は、慶州(キョンジュ)に並ぶ韓国内でも歴史を感じられる街として知られています。日本でも教科書などで何度か聞いたことがある伽耶(カヤ)という鉄の製造が盛んだった国が、ここ金海市を中心とした地域に存在していたんです。ご存知でしたか?今日はそこで、この鉄の国「伽耶」を建国した首露王(スロワン)のお墓をたずねてみることにしました。
伽耶とは?
西暦42年首露王(スロワン)が駕洛国(金官伽耶)を建国し、朝鮮半島の南部にあった6つの小国を形成して伽耶と呼ばれている。鉄の製造が盛んだったと言われている伽耶時代の古墳からは鉄製品の副葬品が多く出土し、また同時代の日本の古墳からも同型の鉄製品が出土されていることから交易の交流があったとされている。西暦42年に建国してから10代まで王位が続き、西暦562年、当時勢力のあった新羅に攻められ、520年の伽耶の歴史に幕を閉じた。新羅が攻めてきた当時、戦乱を逃れるためたくさんの伽耶人が鉄の交易があった日本に移住したともいわれている。

伽耶の建国者首露王
首露王の誕生は、「亀旨峰(クジボン)」という山に6つの金の卵が空から降りてきて、卵から生まれた王たちはそれぞれ6伽耶の王になり、その一番最初に生まれたのが、この首露王だと韓国の歴史書「三国遺事」に記載されています。また、首露王は金の卵から生まれたことから姓を「金」と名乗り、韓国に大勢いる金海金氏の祖先として、今でも子孫たちが3月と9月に祭祀を行っています。誕生は、神秘的な神話として伝えられていて、信憑性に疑問視する学者も多いですが、古事記の中に首露王が生まれたとされる亀旨峰の山の名前に似た名が記載されていたことから、注目されるようになったようです。韓国内でよく知られている首露王の話として、首露王の王妃がインドの阿踰陀国からやって来た女性だったと言われています。特に、首露王陵内の正門の神魚像は、インドとの文化交流や王妃を立証する古美術として研究対象になっています。また、鉄の国として外国と貿易が盛んだった伽耶ならでは面白い神話がもう一つ、首露王の王女の一人が当時邪馬台国だった日本に渡り、卑弥呼になったという伝説も残されています。
<神魚像>

<神魚像>

<首露王と王妃の尊影> 

<首露王と王妃の尊影> 

<金の卵の再現>

<金の卵の再現>

首露王陵。直径22m、高さ約5mの円墳で、史跡第73号に指定されています。

このように首露王陵が整備されたのは、朝鮮時代の宣祖王13年(1580年)当時の嶺南観察使(官職名)であった許曄が首露王陵を改築して、床石(墓前に供え物を並べる台石)、墓標などを設置して王陵らしい容貌に整えたそうです。しかし、日本統治時代に陵が盗掘されるなど受難も受け、1964年から1994年まで補修及び聖域化して現在の姿になったということでした。
敷地内には池やベンチなどが整備された公園があるので、ゆっくりお散歩しつつ伽耶の歴史を感じられることでしょう。また、日本語でのガイドを希望される方は、正門を入ってすぐ左側にある建物に無料日本語ガイドの方が随時いらっしゃるということなので、歴史に興味があるという方は、母国語での説明は必須ですよね!釜山からちょっと足を伸ばして、素敵な神話がたくさん残る伽耶文化に触れてみませんか?以上、プサンナビがお伝えしました。

記事登録日:2004-05-21

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関連タグ: 伽耶 三国遺事

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

スポット登録日:2004-05-21

スポット更新日:2013-05-31

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