石窟庵(慶州)

ソックラム석굴암

閉店・移転、情報の修正などの報告

投稿者:りょーちゃん

口コミ掲示板戸惑っちゃいました・・・

2011-06-18
仏国寺駐車場からシャトルバスが出ている・・・とのことで、私はてっきり、駐車場の中にバス停が
あるものだとばかり思っていたのですが、中にはないのですね。
(バスの待合所?は、駐車場内にあり、駐車場側を向いて建てられていますが、実際には
バスは道路にとまり、中には入ってきませんでした)
駐車場も、2ヶ所あり、どっち?!と迷ってしまいました。
入口のところにいる方に聞いたら、下の駐車場のほうで、市バスと同じバス停で、12番バスが
シャトルバスだといわれました。
私が乗ったのは、座席バスではない普通のバスでしたが、1,500ウォンでした。
石窟庵行きは、商店街側、石窟庵からのは仏国寺の駐車場側のバス停にとまりました。

入口からがまた距離があり、片道10分ほどかかりました。
最後はちょっときつい階段がありました。

前室を挟んで、かつガラス越しの見学。
これで4,000ウォン・・・
無理に見に行く必要はない気がしました。

雨の日は、最後の階段が危ないかなと思います。
晴れていても、砂が多く、滑りやすいと思います。
気をつけて上り下りしてください。 
訪問日:2011/06
コメント(全6件)

タンギュイ

2011-06-19
石づくりなので作るのはそれなりに大変だったかと思いますが、芸術価値がどこまであるかとなると、こんなものかなという感じはありますね。

カラフルでないのも影響しているかもしれませんね。 

りんご味

2011-06-19
りょーちゃん様 こんにちは。 石窟庵にいかれたんですね。私は 天候が悪かったせいでいけませんでした。うらやましいです。レポを拝見すると「う~ん写真でもいいかな?」て感じではありますが 一度は行ってみないと。ですね。ところでそのバス停の前方、道を挟んで左端の食堂が とても美味しいですよ。観光客が大勢で行く広い食堂ではなく 小さい店が長屋のように入ってるところです。お店の名前は忘れてしまいましたが手作りのマッコリも最高でした。 バンチャンも山のように出て、(しかも お皿も大きい) 又食べに行きたいと思っています。 

yangmi

2011-06-19
うろおぼえですが確か目だか額だったかにダイヤが入ってるとか旦那がいってたと思うのですが、、、

なんかすごいなぁ~って思って私はみましたよ。


今でこそ車です~~っと山を登って片道10分歩いただけで拝めるけれど

作った当時の人はどのような思いでここでこれを作ったのだろうとか

人々はどうやってこれを拝んでいたのだろうとか、、これをこれをどのような思いで守ってたのか(この石造を管理して守ってた人もいるだろうから)

そんな事をおもいながら見ると見る価値があるなぁっと思いました。あの石像がそのまま美術館に運ばれて来てそれを見たとしてもそれはあんまり面白くないと思うんです。
芸術的な価値がどれだけあるかちょっとわかりづらい。

でもあの場所にある事がいいんだと思うんです。

あの場所にあの石仏を作った。昔の人の心がなんとなくわかるというか
石仏をつくり平安を祈り 石仏から平安をいう恩恵を受けるために山の上から眼下に広がる
地域の人々みんなに石仏からのパワーが広がるようにこんな山の上に作ったのではないか。。
っとか。。。。
石窟庵の建物の前に立って遠くを眺めながらそんな想像をしました。楽しかったです。

昔からある建物を見て 今でもその芸術性 美術性の高さから人の目を楽しませるものもあれば
歴史ロマンというかなんというか 昔を思い浮かべてどんな物語がここにあったかを楽しむ 一般的に今に伝わる歴史と共に自分なりの想像を楽しむのもいいと思います。

日本でもそうですが最古の木造建築物に触れた時 あぁ私は古代の人が触ったであろう柱に
私が今手を触れたのである これぞタイムマシーンに乗って千数百年を飛び越えて来た事にはなならないだろうか?とか浸ってしまうんですよね~。
ロマンティストだからかな? だから特別見に行っても面白くない感じの奈良とかの旧跡なども
私は好きです。 柱が立ってたであろう場所に基礎の石だけが残ってる。それを見るだけで
なんとなく、目の前に想像で建物をイメージして古代にスリップするんです。

そうゆう鑑賞の仕方もあると思いますよ^^*まぁ人それぞれですがね。



 

福岡市民

2011-06-19

yangmiさんのコメントに感動しました。
これから歴史建造物等の見方が変わりそうです。
有難うございました。 

タンギュイ

2011-06-20
日本統治時代に修復、配置されたのがでたらめだと再配置されたみたいですが、日本がやったのが正しかったと証明されたにも関わらずそのままになってるとか聞きました。

日が昇ると額のガラスかなんかがきらっと光る設計だったとか聞きました。

御札の絵に検討されたようですが、一宗教を利するとの理由で没になったと聞きます。

湿度対策だかガラスの中だったのと、儒教の進展で一度すたれた歴史?があるせいか、ずっと仏教一筋だったきんきらきんのタイ仏像見た直後では、インパクトの弱さを感じました。

歴史のスパンがタイ仏教とは全然違うと思うのですけどね。 例えば、縄文時代、飛鳥時代と江戸時代を比較しても全く意味ないのですけどね。 

osaka2001

2011-06-20
エリック様の書かれている通り、文献等を無視して、韓国によって再配置した影響で、湿気などが多く発生して、今のような空調管理をしないと、いけなくなりました。
元の位置に戻せは、空調等は必要なくなるでしょうが-----。

石窟庵そもそも、1900年に郵便局員が、雨宿りする場所を探している時に、発見されました。
それまでは、何百年も忘れられ放置状態でした。
昔、何度かツアーで利用した時には、石窟庵を聖徳太子が無理やり、日本に持ち帰ろうとしたとか(石窟庵は聖徳太子がなくなってから、200年後に作られました)
豊臣秀吉が、日本に持ち帰ろうと、元あった場所からここまで持ってきたが、大きすぎて放置したとか----、ガイドさんによって、説明内容が違っていました。